お帰りなさい。勝先生!

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今春、教員移動で三条高野球部OBの勝先生が母校に赴任した。
いやあ、長かったなあ。教員採用から23年も経っている。青年監督は45歳になっていた。
その間、1995年六日町高で上村投手を擁して甲子園初出場。2004年巻高で篠田投手を育て夏の県大会準優勝を果した。
2006年から新潟翠江高の定時制に移動したのをきっかけに、高校野球の指導から遠ざかっていた。
昨秋、中学生の硬式野球体験指導をしてる所を見学した時、「三条高に戻ってきてほしい」と私が嘆願したら本当に実現してこんなに嬉しいニュースはない。
しかし何故、新潟県の教育委員会はこのような優秀な指導者を高校野球の現場から離すのだろうか?
教員の定時制体験は必修であるのはわかるが、野球で実績のある人は免除で良いのではないだろうか?
昨夏、県央工が甲子園出場したが、当時の高村部長が今春、新発田南へ移動した。監督時代、野球部をようやく県内の強豪チームに作り上げた功労者である。それが今回、新発田南の小柳監督と入れ替わりである。
誤解を招くかもしれないが、これじゃあプロ野球のトレードと同じではないか?せっかく甲子園に出て、鈴木監督、高村部長コンビで連覇を狙おうとしているのに残念でならない。
新潟商は昨秋の北信越大会で大活躍した。関根監督が1年生から手塩にかけた吉田中学の中心選手がやっと3年生になり、古豪復活で34年振りの甲子園が狙えるチームに育てながら、新発田商へ異動した。
私の後輩が我が子を進学させる時、2002年夏、柏崎工で準優勝した高嶋監督の指導法に賛同し、見附高に異動したのを機会に三条市から見附高に進学させた。子どもが3年生となったのに高嶋監督は高田北城へ異動した。
最後の夏に共に苦労した監督と闘えないなんて選手達が可哀想である。
何故10年ちょっとで公立校の教員は異動するのだろうか?
これだから新潟県の高校野球は弱体化しているのである。
20代、30代の現役バリバリの先生が野球部を県大会ベスト8以上に進出させたら、少なくとも20年以上は同じ学校で指導できるような体制を取らないとこのような悲劇な選手達がたくさん出てしまう。ましてや新潟県の高校野球のレベルは向上しない。
監督もまたゼロからのチーム作りとなる。これでは甲子園なんていつ実現できるか目標が見えてこないはずだ。
今回の異動でたくさんの先生達が新しい学校で野球部を指導している。
そのご苦労は大変だろう。新潟の野球を変えるニューリーダーとなって頂きたい。

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CanonEOS40D EF70-200mmF2.8L IS USM+エクステンダーEF2×Ⅱ
F6.3  1/125秒 ISO400 14:42  雨のち曇り
撮影日 2009.6.13 撮影地 三條機械スタジアム

私が高校3年生の時、八百屋のアルバイトで勝さんの自宅に何度か商品を配達に行っていた。
勝さんの母親と私の母親が茶の湯の友達同士でもあった。
勝先生は私より5歳年下になる。彼は三条高校の主将として2番打者で三塁を守っていた。
三条高は1981年春の北信越県大会でベスト4に入った。
本大会は新潟県で開催され、三条高は1回戦で星稜高と対決し、9回に決勝3点本塁打が飛び出し6対5で勝利する大金星を上げた。
夏はシード校となる実力チームで3回戦は古豪新潟商を3-1で破った。
この時、新潟商にはのちに日本ハムで活躍した渡辺浩が三番を打っていた。
三条高は4回戦で水原高と対戦する。春は準々決勝で延長11回、2-1で勝利していた。
この日の水原の角田投手は重い速球とシュート、カーブが低めに決まり三条打線を2安打に抑え込んだ。
結果は3-1で水原が快勝した。勝選手の甲子園は夢と消えたのである。
だが彼は教員となり指導者となって甲子園を目指した。
1995年夏、六日町高で豪腕上村投手を擁立し県大会決勝に臨んだ。
相手は新発田農業である。私はこの日、鳥屋野球場一塁側の六日町高ベンチ上で勝監督を応援した。
試合は予想外の展開で4回を終了し7-0で六日町がリード。6回裏に1点を追加したらもうお祭騒ぎである。
九回表最後の打者を空振り三振に討ち取った上村投手はマウンドにかけよる捕手と抱き合った。
私はファインダーの中で彼らを連写し続ける。「勝った!勝が勝ったぞ!」
彼が三条市出身だと言う事で、隣にいた六日町高を応援する年配の方に「俺も三条人なんだて!」と喜びを分かち合った。
甲子園では柳川高に8-2で破れ初戦突破はならなかったが、この夏は新潟県高校野球界にニューリーダーが誕生した年だった。
私は勝さんの実家をお袋と訪問し、甲子園出場を記念して写真をプレゼントした。
しばらくしてから、この「六高野球部 夢街道」という本がベースボール・マガジン社から発行され、勝先生のサイン入りで甲子園のおみあげといっしょに頂戴した。
六日町高が甲子園に出るまでの試練が綴られ、何度読んでも感激する。

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CanonEOS40D  SIGMA18-250mmF3.5-6.3 DC OS HSM
F11  1/30秒 ISO400 
撮影日 2009.6.21 撮影地 自宅

二年前の夏の大会で、延長10回裏急遽マウンドに送られた1年生のT君。
勝負はたった一球で終わった。サヨナラ負けである。
どんなに悔しくて辛かっただろうか?
この日のゲームは桐生第一を4回まで1安打に抑え込み2-0とリードしながら、打順がひと回りしたら甘いコースを三連打、その後スクイズであっさり逆転され惜しくも降板した。
彼はこの夏、最後のマウンドに上がる。なんとしても勝ってほしい。
また1年生からレギュラーだ内野のS君が出ていなかった。
鼻を骨折したらしい。夏に間に合うのか心配である。

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CanonEOS40D EF70-200mmF2.8L IS USM+エクステンダーEF2×Ⅱ
F6.3  1/400秒 ISO1600 15:16  雨のち曇り
撮影日 2009.6.13 撮影地 三條機械スタジアム

勝見監督は二年前に西新発田高から三条高に赴任。
新潟南高で1984年夏、明徳義塾を破り県勢初の甲子園ベスト8に進出した経験を持つ。
八回表、2-2の同点で二死二塁の場面、明徳の攻撃は左打者を代打に送った。その打球はレフトへの小飛球となり、勝見選手は懸命にダイビングキャッチの超美技を披露しピンチを脱した。
その裏、新潟南は勝見選手が逆転の突破口となるヒットで出塁し、投打の中心だった4番林選手が二死一塁からバックスクリーンへ本塁打を放ち4-2と逆転した。
あのファインプレーが試合の流れを変えた。そんなラッキーボーイが勝見監督だったのである。
当時のスポニチに連載していた阿久悠さんが「モロッコの金メダル」と題し新潟南高の健闘をを称えている。
しかし、関川監督から学んだ南高野球のような緻密なプレーを教えても、三高野球部ではまだ勝機に見放されている。
このたび勝先生が部長になり、これで甲子園経験者二人のコンビが実現した。
招待野球を見学していたら、私の社会人時代のS上監督と三十年ぶりに会った。
今年から三高野球部のOB会長に就任したそうだ。
これで三条高は指導者とOB会の連携がいっそう強くなったようだ。
10年間白星がない野球部に、悲願の夏一勝が舞い込んでくるか楽しみになって来た。

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CanonEOS40D EF70-200mmF2.8L IS USM+エクステンダーEF2×Ⅱ
F6.3  1/200秒 ISO800 17:08  雨のち曇り
撮影日 2009.6.13 撮影地 三條機械スタジアム

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by chonger48 | 2009-06-24 22:07 | スポーツ
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