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二人の名監督

昨日の中越沖地震で新潟県の高校野球も大混乱している。柏崎の佐藤池球場はスタンドにヒビが入り使用中止となって、大会の再開が未定となっている。選手の中には被災した生徒もいるだろうし、こうなると全高校球児の精神的不安と体調管理が心配です。

さて今日は、三条高校野球部OBで新潟県高校野球界に旋風を巻き起こした二人の若手監督を紹介します。
1980年、早稲田大を卒業し十日町高に赴任した土田浩資監督は、豪雪地の弱小チームを見事に鍛え上げ、1986年の夏に決勝戦に進出した。惜しくも中越高に敗れ甲子園を今一歩で逃すが、トンボのマークの軍団は爽やかだった。「情熱とぼしきチームには甲子園という文字は輝かない」と言っていた土田監督は1993年、志半ばで病に倒れ38歳の若さで天国へ旅立ってしまった。それから8年後の2001年の夏、三条東高から転任した若井監督と六日町高で甲子園出場した富樫部長の二人三脚で、日本文理高を破り悲願の初優勝を飾った。亡くなった土田監督は私より5つ年上でした。私が高3の時、adidasの白いトレーナーと緑のチノパン姿で、三条高に練習を見に行くスポーツ刈りのかっこいい青年を見ました。それが土田監督と初めてあった出会いでした。
【在任13年間の主な成績】
昭和55年夏ベスト8、昭和61年夏準優勝、昭和62年夏ベスト8、
平成元年夏ベスト4、平成3年夏ベスト8、平成4年夏ベスト8、
昭和61年秋、平成元年春、平成4年秋、平成5年春北信越大会出場

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CONTAX T3 ゾナーT*35mmF2.8 F8.0 オート
KODAK T400CN
撮影日 2001.11.3 撮影地 十日町市


1981年春の北信越県大会でベスト4に入った三条高は、新潟開催のため本大会に出場した。1回戦は強豪星稜高と対決。6対5で奇跡の逆転勝ちをする。当時の主将でサードを守っていた勝選手は、私の野球仲間の上司の子供で、準決勝の中越高戦をみんなで応援しに行きました。痛烈な打球を胸にぶつけてゴロを処理するガッツあふれるプレーは印象に残っています。惜しくも中越に負けて決勝進出は出来ませんでしたが、久しぶりに私が熱く燃えた試合でした。それから彼は京都大へ進み、1986年六日町高へ赴任します。1990年監督に抜擢され、1995年六日町高を甲子園に初出場させました。
勝雅史監督31歳の快挙である。その年の秋、勝監督の実家に下の写真を全倍パネルにしてプレゼントしたら、「六高野球部夢街道」という本をサイン入で頂きました。

二人の名監督_b0076646_2033294.jpg

CanonEOS-1N EF70-200mmF2.8L  USM  F8.0 オート +2/3補正 RDPⅡ
撮影日 1995.7.30 撮影地 新潟市鳥屋野球場・決勝戦・六日町8対0新発田農

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by chonger48 | 2007-07-17 22:41 | スポーツ
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