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星野ジャパン無念の4位

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22日、北京五輪野球の星野ジャパンは、準決勝で岩瀬が不振だったイスンヨプに勝ち越し2ランを打たれ、韓国に2―6で逆転負けした。
(決勝で韓国はキューバに3対2で勝ち初優勝)
これで悲願の金メダルがなくなり、23日に米国と銅メダルをかけて戦った。
初回に荒木のソロ本塁打で先行したが、先発の和田が2回裏に同点本塁打を許した。3回表は、青木の3点本塁打で勝ち越したが、その裏、再び同点3ランを浴びた。
救援した川上も5回表に、2点本塁打を含む3長打で4点を勝ち越された。その後、成瀬、ダルビッシュが追加点を阻んだが、打線がつながらず、4対8で敗れ4位となってしまった。こんなゲームでは上原の出番もない。
守備も準決勝、決勝でG・G佐藤が落球、すべて得点に影響したミスだけに痛かった。
日本プロ野球はアメリカ二軍に負けたのである。
確かにケガ人や不調の選手がいたりして万全ではなかったが、やっぱり打てなすぎた気がする。国際試合のストライクゾーンに早くからなれる対策が必要だった。
緊迫した場面で登板を強いられる投手陣だけを責める事は出来ない。
この敗戦は、これからプロ野球選手を目指す子供たちに夢と希望を与えられたのだろうか?

昭和63年7月28日、第14回新潟県都市対抗軟式野球大会に出場するため、三条市から優秀な選手18名を選んだ「オール三条」の結団式が行われた。
過去3年連続優勝してからここ数年は勝てない時が続き、今年こそはと期待されたチームだった。
私はマネージャーとして代表に選ばれ、高校の大先輩I監督をサポートさせてもらった。毎週木曜日は南小学校でナイター練習、日曜日は自分達が所属するチームのゲームが終了後、3時過ぎから疲れた体にムチをうち、2~3時間の練習をしていた。
10月9日、栃尾市民球場で行われた初戦、なんと「オール栃尾」に惜敗してしまった。エースのO投手を打線が援護できず、主将のM選手は悔しがる。
試合後の反省会が市内の割烹で行われたが、酒も料理もノドを通らない。
若い選手たちの中に、自分のミスを責めて涙する者も出た。
北京五輪の代表選手たちはプロ野球のシーズン中は敵同士である。
わずかな期間でお互いの心を通じ合わせるには時間が足りないと思う。
チームワークとは仲良しグループではない。技量の足りない選手を応援したり、お互いの性格や気心を分かり合える様に会話や練習によって培うものである。
ペナントレース中にオリンピックに行けと言われても準備不足だったのだ。
小笠原や高橋由伸なんかが選べなかったのも残念だった気がする。
1球団2選手の枠は撤廃されたがメリットは生かせなかった。
24選手が初めて集まったのは北京出発の約10日前だった。
セリーグ選抜との強化試合では2対11の惨敗。その不安は的中してしまった。
そこへ日本代表という日の丸のプレーッシャーが来る。
「オール三条」の選手も同じように三条市の代表で絶対優勝が義務づけられていた。
こんな時はやっぱり自分達のプレーが出来ないものである。

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CanonEOS30D  EF500mmF4.5L USM  
F4.5  1/2000秒 ISO400 13:48 晴れのち曇り
撮影日 2007.9.29 撮影地 三条市月岡・三條機械スタジアム

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by chonger48 | 2008-08-24 23:37 | スポーツ
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