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良寛街道


新潟市の写真家羽賀康夫さん(78)の写真集「良寛街道」を見ました。
越後の美しい風景の中に、生誕250年を迎えた良寛の暮らしが甦ってくる感じがします。
11月16日まで、新潟県立図書館で二十数点の作品を展示しています。
オリジナルプリントの素晴らしい色彩を是非、ご覧頂きたいと思います。

私もフォトライブラリ-に良寛の写真を預かってもらいました。
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Canon PowerShotG7  7.4-44.4mm 
F8.0 1/200秒  ISO80 15:38 晴れ
撮影日2007.8.12 撮影地 燕市・燕三条駅

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by chonger48 | 2008-11-09 17:19 | 心象風景

本成寺御会式


日蓮聖人の法要会として行う宗教行事、御会式(おえしき)が本成寺で行われた。
昨年は夜の行列を撮影したが、今年は日中の様子を写して見る。
本堂では読経が1時間ほど行われた。

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CanonEOS40D  EF-S17-55mmF2.8IS USM
F14 1/400秒  ISO200 9:36 晴れ
撮影日 2008.10.13 撮影地 三条市・本成寺 

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CanonEOS40D  EF-S17-55mmF2.8IS USM
F11 1/60秒  ISO200 9:47 晴れ
撮影日 2008.10.13 撮影地 三条市・本成寺

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CanonEOS40D  EF-S17-55mmF2.8IS USM
F16 1/50秒  ISO200 10:15 晴れ
撮影日 2008.10.13 撮影地 三条市・本成寺

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CanonEOS40D  EF-S17-55mmF2.8IS USM
F13 1/250秒  ISO200 11:25 晴れ
撮影日 2008.10.13 撮影地 三条市・本成寺

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CanonEOS40D  EF-S17-55mmF2.8IS USM
F6.3 1/30秒  ISO1600 11:55 晴れ
撮影日 2008.10.13 撮影地 三条市・本成寺

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CanonEOS40D  EF-S17-55mmF2.8IS USM
F8.0 1/60秒  ISO400 12:05 晴れ
撮影日 2008.10.13 撮影地 三条市・本成寺 

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by chonger48 | 2008-10-25 22:04 | スナップ

終戦記念日


63回目の終戦記念日を迎えた本日、全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下や福田首相、遺族らが参列し、戦争の犠牲となった約310万人の冥福を祈った。また福田首相は今日の靖国神社への参拝を見送ったが、小泉元首相と安倍前首相は、相次いで参拝した。
来年は私も8月15日に靖国神社に参拝して見る事にしよう。

私の父は昭和3年生まれで80歳。お陰様でまだ元気である。
酒を飲むと良く軍歌を歌う。最近はハーモニカで演奏する事が多く、夜は近所迷惑になっていないか心配だ。譜面も読めない父が奏でる音色は、どこか哀愁があり、何故か本当に上手い。私が中学の頃、掃除の時間に友人が持ってきた軍歌のLPを流した事があった。いきなり校舎内に「加藤隼戦闘隊」が流れてきたもんで、先生が放送室に駆け込み、こっぴどく叱られた。
「海行かば」や鶴田浩二の「同期の桜」も流して見たかった。
父は学徒動員で新潟鉄工で働らいていた事がある。
昭和20年7月2日、午後五時頃、新潟鉄工は入船町と山の下を往復する鉄工丸という連絡船が百人くらい乗れるハシケを引いて信濃川を渡っていた。その途中、B29が落としていた機雷に接触し爆発した。勤労動員の生徒や鉄工所の職員ら20数名が亡くなった。
父はその舟に乗る予定だったらしいが、帰りの時間が遅れて難を逃れたという話を家族にしてくれた。もしあの舟に父が乗っていれば私は生まれていない。戦局は悪化し生徒からも戦場に向かう者が出てきた。父も志願し東京の陸軍少年飛行兵学校へ入るが、やがて終戦となり戦地へは出ていない。
戦争とは人の運命を変えてしまう悲しい出来事なのである。

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CanonEOS10D  EF16-35mmF2.8L USM  F8.0  1/320秒 -0.7補正 
ISO400 AM11:30 晴れ
撮影日 2005.6.25 撮影地 東京都千代田区九段・遊就館

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CanonEOS10D  EF16-35mmF2.8L USM  F8.0  1/100秒 
ISO800 PM12:06
撮影日 2005.6.25 撮影地 東京千代田区九段・靖国神社


※写真を幕末古写真に変えて見ました。

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by chonger48 | 2008-08-15 16:47 | 心象風景

天地人を歩く


来年のNHK大河「天地人」のゆかりの地、与板を訪ねた。
片手に巻物、片手に刀をたずさえて立つ直江兼続像
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CanonEOS40D  SIGMA18-200mmF3.5-6.3 DC OS F5.6 1/125秒
ISO100 10:08・雨のち曇り
撮影日 2008.5.11 撮影地 長岡市与板町・歴史民族資料館

与板城跡への山道にはいたるところに旗が立ち、街あげてのPRである。
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CanonEOS40D  SIGMA18-200mmF3.5-6.3 DC OS F5.6 1/40秒
ISO1600 12:38・雨のち曇り
撮影日 2008.5.11 撮影地 長岡市与板町・与板城跡への山道

街には本与板城跡と与板城跡と二つある。
直江兼続が築いたほうが与板城である。ここには稲荷神社が祀られていた。
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CanonEOS40D  SIGMA18-200mmF3.5-6.3 DC OS F8.0 1/60秒
-0.3補正 ISO400 12:10・雨のち曇り
撮影日 2008.5.11 撮影地 長岡市与板町・与板城跡

直江家の菩提寺の徳昌寺。また良寛さんゆかりの寺でもある。
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CanonEOS40D  SIGMA18-200mmF3.5-6.3 DC OS F13 0.6秒
-0.3補正 ISO100 13:47・雨のち曇り
撮影日 2008.5.11 撮影地 長岡市与板町・徳昌寺

与板「大坂屋」三輪家は江戸中期の豪商で、明治に入り十一代当主、三輪潤太郎は屋敷裏手に別荘「楽山亭」を造りました。ここに大坂屋の護り仏とされた十一面観音像が置かれています。
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CanonEOS40D  SIGMA18-200mmF3.5-6.3 DC OS F8.0 1/125秒
-0.3補正 ISO400 15:05・雨のち曇り
撮影日 2008.5.11 撮影地 長岡市与板町・楽山亭観音堂

柏崎で幕末に活躍した茶人、松村宗悦の茶室を三輪潤太郎が明治三十年にこの地に移築した茶室「積翠庵」。この茶室は平成九年に復元された。
正徳館高校の茶道部が楽山亭の茶室でもてなしてくれた。
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CanonEOS40D  SIGMA18-200mmF3.5-6.3 DC OS F11 1/6秒
+0.7補正 ISO400 15:15・雨のち曇り
撮影日 2008.5.11 撮影地 長岡市与板町・楽山亭積翠庵

午後6時30分からライトアップが始まる。
あいにくツツジの品種が違うため開花期が揃わないのが残念だ。
下から撮影しては屋敷内が見えない。そこで私の車、デリカスペースギアのルーフキャリーに乗りカメラをセットした。だがそれでも中の明かりが見えるだけで高さが足りない。正面には電線が横切っている。今回はこれであきらめよう。

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CanonEOS40D  SIGMA18-200mmF3.5-6.3 DC OS F13 1.6秒
ISO400 19:11・雨のち曇り
撮影日 2008.5.11 撮影地 長岡市与板町・楽山亭

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by chonger48 | 2008-05-17 10:38 | その他

新銀行東京400億円追加出資


本日、経営難に陥ってる新銀行東京に400億円の追加出資案が東京都議会本会議で自民、公明の賛成で認められた。石原知事は「世論の意見を聞いていたら政治は出来ない」と強気な態度をしているが、都民の税金負担は大きくなるばかりだ。
先日、建物修復工事を終えた新潟県政記念館を見学してきた。
県会議事堂として明治16年(1883年)3月に文明開化期の伝統と洋式を織り交ぜて建築され、県政審議の場として昭和7年(1932年)まで50年にわたり使命を果たしました。
昔も議会ではヤジが飛び交っていたんだろうなあ。
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CanonEOS40D  SIGMA18-200mmF3.5-6.3 DC OS F10 1/60秒 ISO100晴れのち曇り PM12:05
撮影日 2008.3.22 撮影地 新潟市中央区・県政記念館

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CanonEOS40D  SIGMA18-200mmF3.5-6.3 DC OS F7.1 1/50秒 ISO100晴れのち曇り PM12:33
撮影日 2008.3.22 撮影地 新潟市中央区・県政記念館

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by chonger48 | 2008-03-28 23:14 | 心象風景

刃傷、松之大廊下


元禄十四年(1701年)3月14日は浅野内匠頭が吉良上野介を江戸城松之大廊下で斬りつけ人情に及んだ日です。
「殿中でござる!」
「お放しくだされ、梶川殿!」てな名台詞で梶川与惣兵衛に取り押さえられ、吉良上野介は一命をとりとめたのです。
去年もこの話題を取り上げたよなあ。今後は毎年この日はこんな記事を書く事になるのかなあ。(^_-)
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CanonEOS30D  EF16-35mmF2.8L USM F10 1/30秒
ISO400 AM9:39
撮影日 2006.12.20 撮影場所 東京都千代田区・皇居東御苑



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by chonger48 | 2008-03-14 20:28 | 歴史

東京大空襲


昨日TBS系列で放送された「3月10日・東京大空襲 語られなかった33枚の真実」を見た。63年前の1945年、地上から地獄の様子の写真を撮った石川光陽さんを取り上げたドラマである。
真っ黒に焼け焦げた死体に手を合わせながら撮影していた「仲村トオル」の演技は見応えがあった。きっと石川さんも同じだったんだろうなあと思ってしまった。
私ならまずこの場から逃げる事しか出来ないだろう。
残された写真の遺体には戦争の悲惨さを伝えてほしいと願っているようだった。
8月1日は、連合艦隊司令長官山本五十六の出身地、長岡市も空襲に見舞われた。お袋が東京や大阪から疎開してきた親類の人達と、三条から見た長岡方面の空が真っ赤に染まっていた事を話してくれた。

【東京都】
爆撃機の数:B-29爆撃機325機
投下爆弾量:E46収束焼夷弾約38万1300発、1783トン
死者数:8万3793人
被災家屋:26万8358戸

【長岡市】
爆撃機の数:125機
投下爆弾量:E46収束焼夷弾約16万3000発、925トン
死者数:1470人余り
被災家屋:1万1986戸

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CanonEOS-3 EF28-70mm F2.8L USM  F8  オート RDPⅢ
ストロボ
撮影日 2002.5.6 撮影地 長岡市坂ノ上町3丁目・山本五十六生家跡

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by chonger48 | 2008-03-11 20:51 | その他

大石内蔵助

今日は、大石内蔵助が切腹した日である。
赤穂浪士は吉良邸討ち入り後、4つの大名家に分けてお預けとなり、内蔵助は肥後熊本藩主細川越中守の屋敷に預けられた。息子の主税は松平定直の屋敷に預けられ、この時が今生の別れとなった。
義士は武士の鏡であるとした世論の中で、幕府は助命か死罪かで苦悩したが、天下の法を曲げる事はできないとした荻生徂徠の意見に、将軍綱吉は切腹を命じたのである。
元禄16年(1703年)2月4日午後4時、大石内蔵助の他45人の赤穂浪士は、春遠からぬ夕空に旅だって行ったのである。
大石内蔵助、享年45。亡骸は主君浅野内匠頭と同じ高輪泉岳寺に葬られた。
私の理想の上司をあげるとすれば、まずこのお方の名前を呼びたい。
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CONTAX T2 ゾナーT*38mmF2.8 F8.0  オート RDPⅡ
撮影日 不明 撮影地 東京都港区高輪・泉岳寺

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by chonger48 | 2008-02-04 23:03 | その他

討ち入り

今日は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日である。(元禄15年12月14日)
忠臣蔵ファンの私は、歌舞伎やドラマの名シーンである南部坂を昨年訪れている。今年はテレビ放送がないようなので、自分で忠臣蔵をキャスティングして楽しんで見た。この豪華俳優で是非映画化出来ないものだろうか?
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瑶泉院は内匠頭切腹後、生家の三次浅野家の下屋敷に移りました。
討ち入り前に内蔵助がお別れの挨拶に訪れたわけですが、屋敷内に吉良家の女間者が潜んでいたのを察知し、討ち入りはないと偽りの報告をするのでした。内蔵助に失望した瑶泉院は「殿の霊前にお目通りかなわず」と帰らしてしまう。その後、女間者は内蔵助が置いていった袱紗包みを盗もうとした時、戸田局に取り押さえられ、中から討ち入りの連判状が発見されたのである。忠義を貫いた内蔵助の本心を悟り、瑶泉院はひどく後悔したこの場面はフィクションであるが、雪の降る中、寺坂吉右衛門を供に傘を差して帰る内蔵助の後姿は最高の絵になる。これが「南部坂雪の別れ」の舞台である。

CanonEOS30D EF16-35mmF2.8L USM F11 1/100秒 -0.3補正
ISO400・PM12:13・曇り
撮影日 2006.12.20 撮影地 東京都港区赤坂2丁目22・南部坂

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CanonEOS10D EF16-35mmF2.8L USM F4.0 1/15秒 +0.3補正
ISO100・PM1:12・雨
撮影日 2003.12.14 撮影地 新発田市大栄町・長徳寺

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赤穂浪士が戦法に用いた策は、「一向二裏」といって敵に対し一人が前、ニ人は左右の後ろから3人掛りで攻撃した。武器も槍や弓は座敷で戦う事を想定し短く作ってある。
また、防御にはクサビ帷子を装着し刀から体を守った。吉良家には100人近い付き人がいたが寝ていた長屋の戸口を封じ込め、実際は25名位しか切り合いに参加できなかったらしい。その日は雪で、赤穂浪士が夜中に誰にも気づかれず、吉良家に着くまでの足音が消されたのも大きな要因である。

CanonEOS10D EF16-35mmF2.8L USM F2.8 1/30秒 +0.3補正
ISO100・PM3:24・雨
撮影日 2003.12.14 撮影地 新発田市大栄町・長徳寺

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CanonEOS-1N EF28-70mmF2.8L USM  F11 オート -1/3補正 TREBI100
撮影日 2000.9.17 撮影地 東京都墨田区両国・吉良邸

赤穂浪士のテーマ


「忠臣蔵」 キャスト
大石内蔵助・・・・・村上弘明  
吉田忠左衛門・・・・大滝秀治   
原惣右衛門・・・・・地井武男                         
片岡源五右衛門・・・堤 真一    
小野寺十内・・・・・竜 雷太   
大石主税・・・・・・神木隆之介    
礒貝十郎左衛門・・・中井貴一
堀部弥兵衛・・・・・緒形 拳        
堀部安兵衛・・・・・渡辺 謙 
赤埴源蔵・・・・・・織田裕二   
奥田孫太夫・・・・・小林稔侍 
早水藤左衛門・・・・村田雄浩         
不破数右衛門・・・・遠藤憲一
岡野金右衛門・・・・石垣祐磨
大高源五・・・・・・榎木孝明   
武林唯七・・・・・・山口馬木也   
倉橋伝助・・・・・・反町隆史     
杉野十平次・・・・・山田孝之  
勝田新左衛門・・・・滝沢秀明
前原伊助・・・・・・保坂尚希        
矢頭右衛門七・・・・中尾明慶  
神崎与五郎・・・・・長谷川初範
間喜兵衛・・・・・・六平直政
間十次郎・・・・・・大泉 洋       
間新六・・・・・・・二宮和也   
三村次郎左衛門・・・渡辺いっけい
寺坂吉右衛門・・・・坂口憲二
(主な四十七士)

浅野内匠頭・・・・・内野聖陽
大石りく・・・・・・吉永小百合
大野九郎兵衛・・・・大地康雄
萱野三平・・・・・・福山雅治
高田郡兵衛・・・・・内藤剛志
橋本平左衛門・・・・佐藤浩市
毛利小平太・・・・・伊藤英明   
瑶泉院・・・・・・・松嶋菜々子
   
色部又四郎・・・・・國村 隼   
上杉綱憲・・・・・・東山紀之
吉良上野介・・・・・菅原文太  
清水一学・・・・・・京本政樹    
小林平八郎・・・・・真田広之
山吉新八郎・・・・・役所広司    

お軽・・・・・・・・小林麻央     
天野屋利兵衛・・・・蟹江敬三 
垣見五郎兵衛・・・・北大路欣也
加古川本蔵・・・・・松重 豊
戸田局・・・・・・・平 淑恵
徳川綱吉・・・・・・橋爪 功
柳沢吉保・・・・・・中条きよし
多門伝八郎・・・・・高橋英樹
脇坂淡路守・・・・・松方弘樹
土屋主税・・・・・・渡 哲也
俵星玄蕃・・・・・・西田敏行
宝井其角・・・・・・石坂浩二
荻生徂徠・・・・・・津川雅彦
畳屋・・・・・・・・寺島 進
そば屋・・・・・・・笹野高史
大工の親方・・・・・小沢仁志
大工の娘・・・・・・黒川智花
浮橋太夫・・・・・・黒木 瞳
浅野家下屋敷の間者・木村多江
堀田隼人・・・・・・千葉真一


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by chonger48 | 2007-12-14 20:17 | 歴史

池田屋事件

元治元年(1864)6月5日、尊王志士、古高俊太郎を拷問した土方歳三は、天皇の御所に火を放った隙に倒幕派の長州勢を京都に引き入れる計画を聞き出した。その集合場所が池田屋とわかり、すぐに新撰組は御用改めをする。
近藤、沖田、永倉、藤堂らの先方隊が突入してまもなく、沖田総司は結核で吐血し倒れてしまう。遅れて着た土方の部隊が駆け付けると新撰組は息を吹き返し戦いは終わった。この時、長州の桂小五郎は池田屋にいなかったので捕縛されなかった。
この歴史的事件のため、明治維新が1年遅れたともいわれている。

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CanonEOS10D EFマクロ100mmF2.8 USM  F16 0.8秒 ISO400 
撮影日 2007.6.5 撮影地 自宅スタジオ







■山南敬助は脱走し切腹させられて池田屋襲撃にはかかわっていないが、新撰組を語る上では重要な人物である。

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by chonger48 | 2007-06-05 21:57 | テーブルフォト